社会人大学院 4 3年目(2度目のM2)
3年目(2度目のM2)
2年で終わらせるはずだった大学院生活は3年目を迎えてしまいました。
M2はM3とはならず、M2のままです。つまり、2度目のM2。自己弁護するわけではないのですが、社会人大学院の修士コースは2年修了を基本にカリキュラムが組まれているものの、2年で終わらなければいけない、という決まりはなく、3年目4年目に突入する人は結構います。学部生のように留年という悲壮感もない。仕事との両立が求められるので、それぞれのペースで構わないのです。学費も、単位を取り終わって講義不要という人、つまり論文だけのために院に残る人は大幅に安くなります。
4月の中間発表も2度目の経験。私はこの時点でまだ、先行研究がまとまり切れておらず、研究分野すら曖昧で、中間報告でもその詰めの甘さが指摘されました。会社では6月に再び人事異動があり、引き続き本社勤務ではあるものの、システムの担当を外れたため、全国出張や終電までの残業からは開放され、若干余裕のある生活が送れるようになりました。
これに伴い私は、研究テーマの変更をするべきか悩んでいました。4月の中間報告を終えたのに、そこからテーマ変更を考えるとは、なんと浅はかで優柔不断なことかと、今振り返ると情けなくなります。会社の異動によって企画担当範囲が少し広がり、業務により沿ったテーマへ変更したいという考えから来た迷いでした。私は入学時から、会社の業務範囲と同じ研究をすることにこだわっていました。職場の上長にも、業務の中で採れるデータを研究に使いたいと申し出、一応の許可まで貰っていました。
指導教授にテーマ変更を相談すると、それでも構わないと言ってくれました。しかし同時に、業務に合わせて猫の目のように研究テーマを変えて良いのかという自責の思い。どこかで腹をくくる必要がありました。とりあえずということで、予備調査を7月に実施。そこでやはりこれではダメだと思い直し、元々のテーマ(4月の中間報告時のテーマ)に舵を切り直します。これがなんと9月。なんと愚かな遠回りをしたことでしょう。他のM2の院生は、すでに調査や分析フェーズに入っている時期でした。改めて先行研究の整理やらリサーチクエスチョンの設定やらをする私は3年目にして、私より後に入学したM2と比較しても完全に出遅れていました。
秋以降、猛烈なスパートを掛けました。何かと環境の変動の激しい業務内での調査を諦め、会社の外に調査フィールドを求めることとし、あるNPOの調査協力を取り付けました。あとはもう、フィールド調査、インタビューと、トントン拍子。一気に執筆へとコマを進めたのでした。
会社と研究との関連付けへのこだわりを捨てたことと、このNPOと出会えたことで、ようやく、大学院生活のゴールが見えて来たように思います。
【執筆中の色々】
修士論文執筆中の、あの大変さは何に例えたらいいでしょうか。経験者のブログを見ると色々な表現が出て来て面白いです。わめいたり、うめいたり、現実逃避しようとして失敗したり、寝てみようと試みても眠れず余計に苦しんだり、部屋を転げ回ったり、まるで陣痛に耐える妊婦のような感じ。そうそう、産みの苦しみというのがピッタリかも。
執筆中は、作業を進めながらも「この構成で本当によかったのか」と確信が持てなくなり、アウトラインと細部との間を行ったり来たりしました。詰めが甘いまま書き始めるからこうなったのかも知れません。
思考の迷路で迷って、袋小路に入り込んだときは、基本に立ち返ってみたくなります。
その時、本当にお世話になったと思うのは、読書猿さんのこのサイトです。
論文に何を書くべきか→これだけは埋めろ→論文作成穴埋めシート 読書猿Classic: between / beyond readers
修論執筆中の陣痛の中で出会ったラマーズ法。おすすめ。
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・こう言い換えろ→論文に死んでも書いてはいけない言葉30
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・論文は何からできているのか?それは何故か?から論文の書き方を説明する
M1の時にこのサイトを知り、目を通せた人は幸いなり。
「論文作成穴埋めシート」がなかなか埋まらずに苦しんでいると、同じ記事中の以下の言葉が目に飛び込んで来ます。
あなたは論文が書けないのではない。研究ができないのだ。
なんと鋭く突き刺さる言葉。3年間で一番の、衝撃の瞬間でございました。